登校

  • 2018.04.11 Wednesday
  • 23:02

しかし実際、

ランドセルを背負って、黄色い帽子被って、登校する我が子の姿、ってものは、

なかなかに感慨深いものがあった。

いやあ〜、小学生なんだなあ・・・っていう。

実感はまだまだ湧きづらい。

しかし良くも悪くも、プラスにもマイナスにも、いろんな意味で一年生離れした一年生だ。

素直さ(社会一般的な)の無い、物事を裏から見ていちいち文句をつける反抗的態度や、

読書好きで漢字を異常なまでに読めるという天才児っぷり、

そのくせ未だにママと一緒じゃないと寝れなかったり、

未だにおっぱいおっぱいと連呼する、幼児っぷり。

端的に言えば、中間が無い。

プラスにもマイナスにも一年生離れしている。

そして自分はそんな息子の事が大好きでたまらない。

世の中から見れば悪童といえば悪童。

だがしかし、こちらから見れば、世の中の大人が要求する素直さには背を向けた、

本当の意味での素直さというものに溢れているし、

どんなことも自分なりに飲み込んで、明るさ極まりなく常に笑い飛ばし対処するその姿勢には、

こちらが影響を受けるし、明るさとパワーをもらっている。

そんな息子に対し、親バカっぷりは一切衰える事無く、はたからみれば恐らくまるで孫の様な可愛がりっぷりである。

しかしまあとにかく、本当、親が子に与えるものよりも、

子が親に与えるものの方が、絶対に多いという事は間違い無い。

よく子が親に感謝する事を要求する様な雰囲気が世の中には所々出てくるが、実際、本来逆であろう。

親が子に感謝、なのだ。

教育だのなんだの、おこがましい。

親は、経験から知れるくたびれた人生訓を、それとなく子供に伝えるくらいでせいぜい。

あとは子供から、素直で純粋でまっすぐな生き様を学びやがれ、だ。

いろいろわかってないゆえに、そこには確かな、人間の原点というものがある。

汚れてすすけてくたびれていない、確かな自由がある。

大人になるという事は、基本、退化するという事だ。

ずるい奴であればあるほど、確実な着実な退化だ。

大人は子供にその辺を学ぶ姿勢で接するべきなのである。

汚れた荒んだ自分を、いかに純粋にし、また子供をいかに純粋なまま成長させられるか、

そのために出来ることは何か、それを、子供から純粋さの影響を受けながら考える事。

大人の汚さを、決して子供に与えない事。

とにかく、大人が子供に学ぶ姿勢で接するべき。

人間たるもの、賢人であればある程、広い視点でより多くのものから学べる。

その学べる範囲の広さ狭さが、その人間を図る一つの指標であると思う。

 

とにかく思うのは、大人は酒を飲み酔いどれながら、そんな自分をくだらない人間と見下げながら、

我が子供に純粋さや人間の原点を学び、自分には失われた若葉のフレッシュさの感覚を分け与えてもらい、

そして子供に心からの感謝の気持ちをささげること、そして自分の時間や行動をささげること、

そんな生活が、アラフォー人間の幸せってものであろう、って事だ。

子供の為にさせて頂けることがあるって事の幸せ。

そうさ、子供ってのは、一つの神的な存在なのさ。

悪い意味で子供な大人にゃあわかるまい。

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  • 2018.04.18 Wednesday
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