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    さよならハムスター・デイズ

    • 2018.02.27 Tuesday
    • 23:03

    息子の一番の親友は女の子のNちゃんである。

    ほぼ毎週、火曜日の体操教室が終わった後だとか、週末だとか、

    長々と延々と遊んでいる。

    小学校に入ってもこの調子で二人仲良くスクスクと育って行き、

    しかし成長に従い、いつかは男女の壁を感じる様になって、

    距離感なんかが生まれるってのは、成長の悲しみってもんだよね、

    いつかはそんな日も来るんだろうな、

    とかそういうことを日々日々思ってたりしていたわけだが、

    そんな成長の悲しみ以前の大いなる悲しみが。

    先日、そのNちゃんの親の転勤が決まり、卒園・入学のこの期間に、

    県外に引っ越す事になってしまったのである。

    それを知った時、当人達は、大人のこちらが予測したよりかは、

    二人とも反応は薄い感じであったらしいが、

    それは、この事をしっかりわかっているのかわかっていないのかどうなのか。

    わかっているとしたら、強がりかもしれないし、ただ考えないようにしてるだけかもしれないし、

    ふとした事で大いに実感として感じた時には泣き出したりもするのかもしれない。

    とにかくこの年頃の子供達の、単純な様で複雑、複雑な様で単純な精神はこちらには計り知れない。

    (こちらが単純だと思って接するとそれよりかは複雑であったり、

    だからと言って複雑だろうと思ってかかると、それよりかはずっと単純であったり。

    子供の精神とは、常にそういう感じである。)

    とにかく言えることは、そんな単純さと複雑さのハイブリットな純真な精神に、

    今回ひとつ打撃が加えられたということはまぎれもない事実であり、

    それに対し、どの様な反応を起こしていようとも、常にこちらはせつない。

    平然としていたら平然としていたでその平然さがせつないし、

    さびしそうにしていたら当然そのさびしそうなさまがせつない。

     

    とにかく、この仲良しの子供二人は日々何かとハムスター、ハムスターと言っておる。

    (息子の現状の三大ワードは「ハムスター」「ドラえもん」「ママけちんぼ」。

    たとえば白紙の紙に何か書くとなると、決まってこれらである。)

    そのハムスターの由来はこちらとしてはまったく知らなかったのだが、

    ある日息子が「ハムスターごっこってどこから始まったか知ってる?」と言って来た。

    「知らないよ、どこからなの?」と聞いたら、ラウンドワンに遊びに行った時に、

    よくハムスターがくるくる回るあれ、的な遊具があって、そこで二人で遊んでいた時かららしい。

    そんなささい事から発展させて、そこからずっと言ってるあたりが、実に子供らしいなあ〜、と思う。

    だから、このNちゃんとの友情の日々は、いわばハムスター・デイズであったと言える。

    ・・こうして過去形で言わなきゃならないのが本当せつないね。

     

    ↑由来はこの辺の遊具

     

    ↑ハムスター銀行の景品

     

     

     

    そして、いよいよこうして、人生というものが、プロローグから、本編へと移り変わっていく。

    今までは、ただ出会い、友情を育むだけであったものが、

    こうして別れ、というものを経験すること。

    つまり、あるものが、なくなっていくこと、

    そうしたLOSTの積み重ねが、人生というものであり、

    こうした別れの経験をもって、人生は始まって行く。

    そして小学校に入れば、また新しい出会いがあり、新しい友情が出来たりもするであろう。

    出会いがあるから別れがあり、別れがあるから出会いがある。人生とは、その繰り返しである。

    この様に物理的な別れもあれば、精神的な別れもあったり、

    最初に危惧していた様な成長に伴う男女の壁としての別れもある。

    この幼い二人の友情を見て、大人として感じ、そういうようなことを思えば、

    人生って、成長って、なんなんでしょうね、とか思う。

    幼い頃の純真さで、男女の壁というものを意識することなく、ただただ仲の良い友情。

    こういう息子とNちゃんの様な関係がいつまでもずっと続けば良いのにね、と思う。

    成長とはある意味退化の様なものかもしれない。しかしそれは避けられない。

    そしてそんな成長の悲しみ以前に、今回の様な物理的な別れってのも多い。

    当たり前だが子供ってのは自立していない。

    自立していないって事は、親の都合で子供の人生が規定されてしまうという。

    (転校生経験のある人間からすれば当たり前の事実だろうが、

    転校生経験の無い自分としては、今回そのことを大いに実感させられた。)
    そこにあるのは、子供としてのどうしようもない無力さである。
    子供当人が思うよりも、今この俺が、自分が、そういった無力さに打ちのめされる。
    子供がそのことでケロっとしていたとしても、そのケロっとぶりがなおいっそう、心に刺さる。
    子供ってやつは本当に、そうした無力さであったり、純真さであったり、成長のLOSTであったり、
    様々な不安定な要素をはらんでおり、はらみまくっており、
    こちらとしてはそうしたことに何かにつけふれるにつけ、
    まったく何かと心を深くえぐられる。ドラマだ。

     

     

    とにかく、さよなら、ハムスター・デイズ。

    こうしてまた一段、息子は大人への階段を上る。上っていく。

     

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