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  • 2018.06.26 Tuesday

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    初テスト

    • 2018.06.26 Tuesday
    • 21:07

    妻が、無料で受けられるテストを見つけて来たので、この度、受けさせてみた。
    こちらのねらいとしては、まあ日々、学習をしているわけだが、
    ゲームの時間との引き換えの学習という事もあり、どうも雑である事が気にかかっていた。
    (誤りを消しゴムでちゃんと消さなかったり、
    そのせいで結局書いた数字が何だかわからないものになってしまっていたり)

    なので、結果うんぬんはまあどうでもよくて、
    キチっと書かなければ誤りになる世界というものを体験し、
    もしそのキチっと書かなかった事で誤りになったら、そこで悔しい思いをしてもらおう、
    というものだったのだが、

     

    結果としては、意外にもそういう事はまったくなく、
    そういう場におかれれば、場に合わせて、キチっとする奴なのだなあという事がわかった。
    そしてそのキチっとのおかげで、成績も上々で、
    国語+算数で200満点中の180点なので、9割をとったという事になる。
    という事で、悔しい思いをさせるという狙いは外れたので、
    「ほうら日々勉強をする事でこうして良い成績が出て、こういう順位をとれるんだよ」、
    という、努力する事で結果を得られる喜び体験へとシフトさせる事にした。

     

    しかしまたそれは、こちらにとってもそれはあった。
    日々息子から勉強の事であれこれ聞かれた時に、
    なるべく簡潔にわかりやすいように工夫して教えたり、

    そういう事もまあ、自然にやってることとはいえ、こちらの日々の努力と言えば努力である。
    そういう日々教えていた事が、ちゃんと息子の身になっていて、
    そのような問題が出された時に、自分で考え、正答を導けるようになっていたのだなあ、という。

     

    あとはこれをなるべく先までつなげて行くという事だけが大事である。
    自分の経験上、小学校低学年のテストはほぼ90点から100点は当然だったが、
    3年生ぐらいから、理科とかがあやしくなって来て、

    そして中学1年の最初の中間テストくらいまでは順位が1桁台だったものの、

    その後はもう、まじめに勉強する輩に追いつかれ追い抜かれ、どうにもこうにも下がる一方であったからだ。
    しかしまあなにをどうやっても息子も父と同じ道をたどる可能性も十分あるわけだが、
    予測できている以上、それを避けたいというのが人情というものであろう。
    とにかく、自分は父が教育パパで、無理やり家庭教師をされたりするのが嫌でたまらず、
    そのせいで勉強を嫌いになった部分もあるように思うので、自分はそうしない。
    学習は自主的にやってもらうし、そもそもテストに出る部分だけが学習ではないのだから、
    テストの点数というものにもこだわらない。
    とにかく学習というものに嫌悪感を持たずに、できるだけ楽しく、
    パズル感覚やゲーム感覚で学んでもらいたい(レイトン教授とかああいうのとか)。
    総じて、思考する事の楽しさ、というものをなるべくもってもらいたい、と思う。
     

    登校

    • 2018.04.11 Wednesday
    • 23:02

    しかし実際、

    ランドセルを背負って、黄色い帽子被って、登校する我が子の姿、ってものは、

    なかなかに感慨深いものがあった。

    いやあ〜、小学生なんだなあ・・・っていう。

    実感はまだまだ湧きづらい。

    しかし良くも悪くも、プラスにもマイナスにも、いろんな意味で一年生離れした一年生だ。

    素直さ(社会一般的な)の無い、物事を裏から見ていちいち文句をつける反抗的態度や、

    読書好きで漢字を異常なまでに読めるという天才児っぷり、

    そのくせ未だにママと一緒じゃないと寝れなかったり、

    未だにおっぱいおっぱいと連呼する、幼児っぷり。

    端的に言えば、中間が無い。

    プラスにもマイナスにも一年生離れしている。

    そして自分はそんな息子の事が大好きでたまらない。

    世の中から見れば悪童といえば悪童。

    だがしかし、こちらから見れば、世の中の大人が要求する素直さには背を向けた、

    本当の意味での素直さというものに溢れているし、

    どんなことも自分なりに飲み込んで、明るさ極まりなく常に笑い飛ばし対処するその姿勢には、

    こちらが影響を受けるし、明るさとパワーをもらっている。

    そんな息子に対し、親バカっぷりは一切衰える事無く、はたからみれば恐らくまるで孫の様な可愛がりっぷりである。

    しかしまあとにかく、本当、親が子に与えるものよりも、

    子が親に与えるものの方が、絶対に多いという事は間違い無い。

    よく子が親に感謝する事を要求する様な雰囲気が世の中には所々出てくるが、実際、本来逆であろう。

    親が子に感謝、なのだ。

    教育だのなんだの、おこがましい。

    親は、経験から知れるくたびれた人生訓を、それとなく子供に伝えるくらいでせいぜい。

    あとは子供から、素直で純粋でまっすぐな生き様を学びやがれ、だ。

    いろいろわかってないゆえに、そこには確かな、人間の原点というものがある。

    汚れてすすけてくたびれていない、確かな自由がある。

    大人になるという事は、基本、退化するという事だ。

    ずるい奴であればあるほど、確実な着実な退化だ。

    大人は子供にその辺を学ぶ姿勢で接するべきなのである。

    汚れた荒んだ自分を、いかに純粋にし、また子供をいかに純粋なまま成長させられるか、

    そのために出来ることは何か、それを、子供から純粋さの影響を受けながら考える事。

    大人の汚さを、決して子供に与えない事。

    とにかく、大人が子供に学ぶ姿勢で接するべき。

    人間たるもの、賢人であればある程、広い視点でより多くのものから学べる。

    その学べる範囲の広さ狭さが、その人間を図る一つの指標であると思う。

     

    とにかく思うのは、大人は酒を飲み酔いどれながら、そんな自分をくだらない人間と見下げながら、

    我が子供に純粋さや人間の原点を学び、自分には失われた若葉のフレッシュさの感覚を分け与えてもらい、

    そして子供に心からの感謝の気持ちをささげること、そして自分の時間や行動をささげること、

    そんな生活が、アラフォー人間の幸せってものであろう、って事だ。

    子供の為にさせて頂けることがあるって事の幸せ。

    そうさ、子供ってのは、一つの神的な存在なのさ。

    悪い意味で子供な大人にゃあわかるまい。

    もう小学生

    • 2018.04.10 Tuesday
    • 21:11

    いよいよ小学校入学。

    明日からは小学生生活がもう始まるなんて、にわかには信じられませんな。

     

    息子が通う小学校はいちおう母校ではあるのだが、校舎は全面リフォーム済みで、当時の面影は一つもなし。

    ただ入学式で在校生が歌った校歌が懐かしいのなんのって。

    プログラムに記載されてた歌詞だけではメロディを思い出せなかったが、

    実際流れると、8割9割方覚えていた。ああ笑ってしまうほど懐かしい。

    それはもう26年程前の記憶の片隅。

     

    しかしまあ新しくてきれいな校舎で、新しい仲間と、新しい事をする。

    それはもう、この世でこれ以上無いほどの、フレッシュな風感。

    学校嫌いのこの俺も、小学校低学年の頃に悪い思い出は一つも無い。

    息子も、もらったばかりの音楽の教科書を見ながら、

    リズムに合わせて手をたたいて、「なんだか楽しい〜」なんて言ってたりしているのを見ると、

    本当、自分の人生なんてものはもうどうでもいいかなあなんて程に、

    息子の人生に肩入れしたくなってくるというかなんというか、うまく言葉に出来ないが、

    とにかくしばらく、希理君の前途に幸あれ!!、と祈り応援し、

    協力できる事はなんでも協力し、見守りたい感じ。

     

    しかし、明日からはとりあえず朝子供を学校に送って行かなければならないので、

    生活が丸々一時間早くなる。一時間早く寝て、一時間早く起きる。

    こいつはなかなか辛いし、不安要素だ。

    まあ普段の朝の時間が、世の中の仕事してる大人の平均よりもだいぶ余裕のある生活なので、

    (車通勤だし会社も家から近め)

    そのせいもあるのだが。

    まあ朝のさわやかな風と、通学する子供達のフレッシュな風を感じながら、

    気持ち良くウォーキング、という気分で歩けばいいか、と思いつつ、

    毎日晴れてるわけじゃあ無いんだよなあという当たり前に事実にもぶちあたる。

    まあ、付き添いっつうのもせいぜい今月中でしょ、とたかをくくる。

     

     

     

    萌えの萌芽

    • 2018.04.04 Wednesday
    • 22:03

    テレビをつけたら偶然「カードキャプターさくら」をやっていて、

    10秒程黙って見つめ、その後、

    「なに?このかわいい子、って思った」との事。

    おしゃれ心

    • 2018.03.21 Wednesday
    • 00:29

    朝、歯磨きした時、鏡の前で、

    「ねぐせ!もうー!」と寝癖を気にしていた。

    ひとつのおしゃれ心の発動と言えるだろう。

    卒園焼肉

    • 2018.03.16 Friday
    • 23:36

    インフルエンザもようやくひと段落し、

    それによりいよいよしっかりと卒園&春休み気分になってきた。

    そこで、息子が前々から卒園記念で焼肉に行きたいと言っておったので、

    どうせなら夫婦共々酒も飲みたいっつう事で、バスの便がいい肉のわかば山王店へ。

    肉のわかばと言えば、昔から期間限定で2000円で食べ飲み放題をやったりと、

    元取れるのか!?とつっこみたくなる激安サービス企画の無茶をやりたがる経営方針だが、

    今も平日限定でとんでもないサービスがありましたよ。

     

     

    普通ドリンク3杯だけでゆうに1000円は超えるってもんで、

    最初はマジか?ドリンクは別料金ででも安い特別価格が3杯までとかなんじゃないの?

    とか疑ってしまう価格設定だが、まあそこは2000円で食べ飲み放題やってたわかばですから、

    これが全部で1000円ポッキリなわけでした。

    家族で焼肉なんていうとドリンクは一杯か二杯とか、

    そもそも車で行った時はノンアルコールビールを一杯とか、

    そんな風にドリンクは遠慮してしまうのが常なのだが、

    こいつは一切気兼ね無く飲める。

    ついてくる食べ物メニューは家族に提供しつつ、他の単品注文肉と一緒にした上で、

    むしろいつもの遠慮ペースで飲んでたら、アルコールが余ってしまう勢いである。

    このセットには本当に大満足だ。

     

    また、他の肉も、安くておいしくて(豚がおいしい。わかばは豚推しだろう。

    まあメルカートとか肉屋もやってるくらいですからね)、

    ご飯もおかわり無制限で、息子も大満足して、食べてるときも、「焼肉にしてよかったあー」だとか、

    帰ってからも、「焼肉おいしかったね」とか、

    翌日の朝にまでも再度、「焼肉おいしかったね」とかわざわざ言ってきて、

    そこまで喜んでくれたらこちらとしても大変喜ばしいわけで、喜ばせ上手というかなんというか。

    晩酌セットで飲めるわ、バスの便はいいわ、肉はリーズナブルにおいしいわ、

    やはりわかばは昔から今に至るまで変わらず、"庶民の味方"的に素晴らしい。

     

     

     

     

     

    卒園

    • 2018.03.09 Friday
    • 22:18

    とうとう卒園。
    しっかし、昨日からインフル疑惑症状にかかり、
    今日の卒園式も出られなくなるかと思ったが、
    妻が幼稚園に相談したところ、最後だから出来れば、ということで、
    そして息子もそれまではグッタリしてたのに、
    それを聞いて元気が出てきて、行けることになったのだが、
    ってえ事はつまり、
    単に自分の容態だけで物事を考えていない、
    いろいろな心配の様なものがあるんだなあ、と思った次第。
    もちろん元気は基本的にはなかったが、なんとかかんとか式は乗り切った。
    午後に病院に行ったらやはりインフルエンザであった。
    まあ本当、今日卒園式出られたら、あとはもう何でもいいわな、
    後は心おきなくゆったりと静養してくれ、といったところ。
    まったく最後までハラハラドキドキであったが、
    それだけにほっっっ、としている。
    感傷だけに浸る余裕は少なくとも今日は無かったなあ。
    ただただ、ほっっっ、と。
    まあ今も息子がインフルで具合悪いってのがあるし、
    自分も絶対にかかれない(この時期は仕事が忙しい)わけだし、
    そういう緊張感もあるし、まあ感傷に浸るのはこれからじわじわとでいいだろ。
    まあそんなこんなしてるうちにすぐ入学でバタバタするんだろうけど。

    さよならハムスター・デイズ

    • 2018.02.27 Tuesday
    • 23:03

    息子の一番の親友は女の子のNちゃんである。

    ほぼ毎週、火曜日の体操教室が終わった後だとか、週末だとか、

    長々と延々と遊んでいる。

    小学校に入ってもこの調子で二人仲良くスクスクと育って行き、

    しかし成長に従い、いつかは男女の壁を感じる様になって、

    距離感なんかが生まれるってのは、成長の悲しみってもんだよね、

    いつかはそんな日も来るんだろうな、

    とかそういうことを日々日々思ってたりしていたわけだが、

    そんな成長の悲しみ以前の大いなる悲しみが。

    先日、そのNちゃんの親の転勤が決まり、卒園・入学のこの期間に、

    県外に引っ越す事になってしまったのである。

    それを知った時、当人達は、大人のこちらが予測したよりかは、

    二人とも反応は薄い感じであったらしいが、

    それは、この事をしっかりわかっているのかわかっていないのかどうなのか。

    わかっているとしたら、強がりかもしれないし、ただ考えないようにしてるだけかもしれないし、

    ふとした事で大いに実感として感じた時には泣き出したりもするのかもしれない。

    とにかくこの年頃の子供達の、単純な様で複雑、複雑な様で単純な精神はこちらには計り知れない。

    (こちらが単純だと思って接するとそれよりかは複雑であったり、

    だからと言って複雑だろうと思ってかかると、それよりかはずっと単純であったり。

    子供の精神とは、常にそういう感じである。)

    とにかく言えることは、そんな単純さと複雑さのハイブリットな純真な精神に、

    今回ひとつ打撃が加えられたということはまぎれもない事実であり、

    それに対し、どの様な反応を起こしていようとも、常にこちらはせつない。

    平然としていたら平然としていたでその平然さがせつないし、

    さびしそうにしていたら当然そのさびしそうなさまがせつない。

     

    とにかく、この仲良しの子供二人は日々何かとハムスター、ハムスターと言っておる。

    (息子の現状の三大ワードは「ハムスター」「ドラえもん」「ママけちんぼ」。

    たとえば白紙の紙に何か書くとなると、決まってこれらである。)

    そのハムスターの由来はこちらとしてはまったく知らなかったのだが、

    ある日息子が「ハムスターごっこってどこから始まったか知ってる?」と言って来た。

    「知らないよ、どこからなの?」と聞いたら、ラウンドワンに遊びに行った時に、

    よくハムスターがくるくる回るあれ、的な遊具があって、そこで二人で遊んでいた時かららしい。

    そんなささい事から発展させて、そこからずっと言ってるあたりが、実に子供らしいなあ〜、と思う。

    だから、このNちゃんとの友情の日々は、いわばハムスター・デイズであったと言える。

    ・・こうして過去形で言わなきゃならないのが本当せつないね。

     

    ↑由来はこの辺の遊具

     

    ↑ハムスター銀行の景品

     

     

     

    そして、いよいよこうして、人生というものが、プロローグから、本編へと移り変わっていく。

    今までは、ただ出会い、友情を育むだけであったものが、

    こうして別れ、というものを経験すること。

    つまり、あるものが、なくなっていくこと、

    そうしたLOSTの積み重ねが、人生というものであり、

    こうした別れの経験をもって、人生は始まって行く。

    そして小学校に入れば、また新しい出会いがあり、新しい友情が出来たりもするであろう。

    出会いがあるから別れがあり、別れがあるから出会いがある。人生とは、その繰り返しである。

    この様に物理的な別れもあれば、精神的な別れもあったり、

    最初に危惧していた様な成長に伴う男女の壁としての別れもある。

    この幼い二人の友情を見て、大人として感じ、そういうようなことを思えば、

    人生って、成長って、なんなんでしょうね、とか思う。

    幼い頃の純真さで、男女の壁というものを意識することなく、ただただ仲の良い友情。

    こういう息子とNちゃんの様な関係がいつまでもずっと続けば良いのにね、と思う。

    成長とはある意味退化の様なものかもしれない。しかしそれは避けられない。

    そしてそんな成長の悲しみ以前に、今回の様な物理的な別れってのも多い。

    当たり前だが子供ってのは自立していない。

    自立していないって事は、親の都合で子供の人生が規定されてしまうという。

    (転校生経験のある人間からすれば当たり前の事実だろうが、

    転校生経験の無い自分としては、今回そのことを大いに実感させられた。)
    そこにあるのは、子供としてのどうしようもない無力さである。
    子供当人が思うよりも、今この俺が、自分が、そういった無力さに打ちのめされる。
    子供がそのことでケロっとしていたとしても、そのケロっとぶりがなおいっそう、心に刺さる。
    子供ってやつは本当に、そうした無力さであったり、純真さであったり、成長のLOSTであったり、
    様々な不安定な要素をはらんでおり、はらみまくっており、
    こちらとしてはそうしたことに何かにつけふれるにつけ、
    まったく何かと心を深くえぐられる。ドラマだ。

     

     

    とにかく、さよなら、ハムスター・デイズ。

    こうしてまた一段、息子は大人への階段を上る。上っていく。

     

    通学路

    • 2018.02.21 Wednesday
    • 09:42

    最近は休みの日というと、そりで息子を引いている。
    基本ただ近所を引き回しているだけなのだが、
    いよいよ小学生という事で、通学路を覚えてもらう為に、
    少々退屈でも毎回通学路コースを行きも帰りも通っている。
    そして小学校の玄関とかまで入り、「ここが3年生から6年生の玄関か」、
    「こっちが1・2年生の玄関だね、今の一年生は3クラスまでか」等と軽く勝手に見学もしている。
    小学校自体は自分も通った言わば母校なわけだが、大幅に改修されており、
    面影はほとんど無いので、なつかしい感じはまったくない。
    が、やはり道は、通学路は部分部分懐かしいものがある。
    通っていた書道教室の家だとか、当時から終わってた食堂だとか。
    当時あったスナックナナ(当時営業してたかどうかは不明)とかはさすがにもはや影も形もないが、
    そういう事を思い出しながらしんみりと、通学路散歩をしている。
    しかしまあそもそもこうして今も、自分が子供の頃に育ったのと同じ地区に住まっている事自体、
    たまたまと言えばたまたまなのであるが、
    そもそもの自分の小学校時代への郷愁の感情というものに、
    実際に当時と同じ道を通るという物理的な郷愁が加わった日には、
    いやおうなしの強烈な郷愁とともに、経年というものについてもしみじみと考えさせられる。
    あれから約30年ほどの月日が経過しているのだ、と。
    親は、自分が小学生だった頃、今の自分の立場で子育てを日々行い、
    そこから30年経過し、ジジババになったのだと。
    当然自分もここから30年が経過すれば、そうなるのだと。
    当たり前だが、人生とは、有限な概念だというわけだ。
    日々日々残り時間は減っていく。
    常に残り時間とにらめっこしながら生きて行く必要がある。
    しかしまあ、それで焦る様な思考にあってはならず、
    あまりそういった事は意識せず、のんびりと、日々を、なるべく楽しく生きるだけだよな、
    そしてなるべく健康で長生きし、
    そんな30年後、孫とこのそり引きが出来ればいいなあ、などなど、とりとめもなく色々と。

    もう小学生

    • 2018.02.17 Saturday
    • 22:39

    あともう少しで幼稚園も卒園だ。
    もう小学生、だ。
    最初の頃は様々な病気で休む事も多かったが、
    年長イヤーはなんと今までずっと、欠席が無かった。
    が、先週木曜日、水ぼうそうにかかり早退し、
    全出席というのは達成できなかった。
    が、結局学級閉鎖となった為、欠席的には一日のみで済んだ。
    まあ記録的にはどうでもいいとして、体が強くなってきたもんだ、と思う。
    当たり前だが、子供は日々日々、成長する。
    我々親世代が日々日々退化して行くのと逆に、子供は日々日々成長するのだ。
    そしてそんな成長過程の若者の伸びというものはすさまじい、と将棋の藤井君の快挙に思う。
    彼も驚くべき速度で、日々日々成長している。
    いつの間にかトッププロが、当たり前にふつうの序盤中盤で指せば、
    この様に、もはや藤井君に勝てなくなってしまっている事が証明された。
    子供は、日々日々のびやかに、様々な数多くのものを吸収して行く。
    藤井くんも「望外」と言ったり、「節目」を「せつもく」と読んだり、
    よくもまあその歳でその様な難しい言葉や読み方をいろいろ知ってるもんだなと皆感心するわけだが、
    それも日々日々様々な古い将棋関係の書物などにて吸収されたボキャブラリーなのだろう。
    わが息子も先日、「つららがひさん(飛散)している」とのたまった。
    いつの間にやらそういった言葉もどこからか吸収して覚えてしまうというわけだ。

     

    ・・と、今後当ブログはこの様な調子で行きたいと思う。
    「親父として」というわけで、言わば今まで赤ちゃん写真を載せていたのはプロローグみたいなものだ。
    そんな時期に行う事は、まあ極論可愛がって、物理的世話をして、という事であって、
    親父としてどうこうというのは特には無いわけだ。
    だがいよいよ就学というわけで、ここからが親父としての様々な役割も出てくるというものだ。
    という事で、日々親父として、思った事をそのまま整理もせず、適当に書き散らかして行くつもりなわけであります。

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